フィクションばかりクローズアップされる赤穂藩主・浅野長矩、本当はどんな人だった?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第28回 ~浅野長矩~
最後に、吉良義央との相性を鑑定する。
※吉良義央の四柱推命鑑定結果は、BACK NUMBERをご覧ください。
精神面(第一印象) 0%
現実面(軽い付き合い) 0%
仕事の相性 25%
金銭感覚 (生活) 25%
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50%
基本相性は50%と、良いとも悪いともいえない結果となった。しかし、その詳細を見ると、なかなか面白い。相性鑑定結果は、上から順番に、付き合いが深まっていった場合の相性が記されており、いずれも25%満点で示される。第一印象と軽い付き合いの相性が0%なのに対し、一緒に仕事をした場合(仕事の相性)、一緒に生活を営んだ場合(金銭感覚)の相性は、いずれも25%満点という結果になっており、もし長矩が吉良義央ともう少し深く付き合っていたら、状況が変わっていたかもしれない。
美談として伝わる「忠臣蔵」であるが、作られた部分が多く、実際の赤穂事件の史料はそれほど残っていない。架空の長矩の存在がクローズアップされる中、今回の鑑定を通し、人間味あふれる長矩の存在を感じることができた(と筆者は思う)。
間もなく12月14日。四十七士が吉良邸に討ち行った、赤穂事件の日である。毎年、泉岳寺では「赤穂義士祭」が行われ、大勢の人達が訪れる。色々事情があるのだろうが、生涯を全うできずに亡くなった、吉良義央、四十七士をはじめ、浅野長矩のご冥福を心から祈っている。
※赤穂事件(国史大辞典より)
主君浅野内匠頭長矩の恥辱をそそぐため、その家臣たちが、浪人してのちも、47人が結束して、吉良上野介義央を討った事件。近世来三大仇討の一つとされてきたもの。元禄14(1701)年3月14日、勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、突然、高家筆頭の吉良上野介義央に、江戸城松之廊下で切りつけ失敗し、切腹・城地没収・絶家の判決を受けた(第一の事件)。その結果、浅野家(赤穂藩)は解体され、藩士は全て牢人(浪人)となった。そのうちの47人が、翌15年12月14日夜から15日にかけて、吉良邸を襲撃、主君の恥辱をそそいだ事件(第二の事件)がおきた。この2つの事件を合わせて、赤穂事件という。第一の事件は、浅野刃傷事件、第二の事件は赤穂浪士復讐事件などともいわれている。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。
今回は、「デジタル版 日本人名大辞典 +Plus」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分。
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。
【参考文献】
「赤穂事件と四十六士」 山本博文 吉川弘文館 (2013)